2013年6月16日〜30日
6月16日  カシミール 〔未出〕

「なぜ、そんなややこしいことをしたのか。おそらく硝煙反応の工作のためだと思われます。自分で自分を撃ってしまうと、指に火薬痕がついてしまう。ベイツの手にいそいで銃を握らせても指や袖に火薬を吹きつけるのは困難ですから。だから、揉みあったように見せた」

「……」

「そして、銃声の後、すぐにボディガードのサム・ウェイドが飛び込んできて犯人を射殺しました。死人に口ナシ。ふたりはグルでした」



6月17日 カシミール 〔未出〕

 ウォルフは補足した。

「最初にベイツを気絶させたのもウェイドです」

「……」

「議員はその頃、ロシアの妨害がありそうだと、よく話していたそうです。その根拠は見当たりません。ただ、ベイツをロシアの工作員と見せかければ、女優殺しうんぬんのネガティブな噂は工作として信用をうしないます」

 アシュリーは眉をひそめた。彼の顔から侮りが消えていた。

「想像だろ」

「ベイツの検死結果に、みぞおちの打撲痕が記録されています」



6月18日 カシミール 〔未出〕

「だが、死んだのは父だ」

 声がしわがれた。

「自分を撃つなら、毒を仕込む必要はないだろう」

「そうです」

 ウォルフは認めた。

「議員は騙されたのです。ウェイドに。毒入りの弾にすりかえたのは彼です」

「あきれる!」

 アシュリーはけわしく吐き捨てた。ウォルフを指差し、

「あんた、ワシントンまでいって、そんなくだらないお話考えてきたのか。ベイツの腹に痣があったから? 命がかかってればじいさんだってキックを繰り出すだろうよ!」

「ふたりの間にはガラステーブルがありました」



6月19日 カシミール 〔未出〕

 ウォルフは言った。

「実際にオフィスに入って、現場を見ました。ほかの方が入ってましたが、調度の配置は変えてなかった。ソファの間には、ガラステーブルがありました。リーナ刑事もそれを確認しています」

 アシュリーは口をあいた。呆然と言った。

「……納得できない」

「そうかもしれません。しかし、ベイツの犯行にしてはおかしいと思った男は、ほかにもいますよ」

「……!」

 ウォルフはあごでしゃくった。

「彼です」

 クリスがうめいて、額を手で覆った。



6月20日 カシミール 〔未出〕
 
 アシュリーは思い出して言った。

「彼の容疑はどうなる。腹の痣よりもっと明白だぞ」

「この男はベイツの店の常連でした。たぶん、最初はステーキが気に入っていたんだと思います。ですが、彼は好奇心の旺盛な人間です。世間話のついでにベイツの口からロス議員の話を聞いたはずです。ロス議員はまったく知らない相手じゃない。つきあっていた元恋人の父親です。その議員に殺人疑惑があるとなれば、聞き流したはずがない」

 そっとクリスを見ると、じつにイヤそうな顔をしていた。



6月21日 カシミール 〔未出〕

「たぶん、彼は調べて、その件はベイツの妄想だとわかったはずです。ただ、彼に吹き込んだ者がいるとは思い当たったんじゃないでしょうか」

 な、とウォルフが聞いたが、クリスは黙っていた。

「そして、ベイツが議員を襲い、射殺された。クリスは当然、事件を額面どおりにはとらなかった。突然の行動を不審に思っただろうし、ベイツがヤドクガエルの毒を使うようなプロのアサシンとは思えなかった。だから、彼はひとりで調べた」

 そして、わたしと同じ結論に至ったんです、と言った。



6月22日 カシミール 〔未出〕

 ウォルフはクリスを見て言った。

「彼の場合は、わたしと出発点が違ったから結論は早かったと思います。ベイツの犯行にはそぐわない。議員側になにかあった。しかし、議員が死んだということはそのまわりに凶手がいる。必然的にサム・ウェイドが浮かびます。そこで彼はサム・ウェイドの自宅に侵入した」

 クリスの肩がぴくと動いた。

「そうだよ」

 ラインハルトが言った。

「もう調べたんだ、警察が。土の成分が一致して、あの男は逮捕された」

 クリスは小さく毒づいた。



6月23日 カシミール 〔未出〕

 ウォルフは続けた。

「彼はウェイドの家の庭を調べました。毒入りの弾は不安定です。射出時の高温によって毒素が無効になってしまう可能性がある。彼はウェイドが試し撃ちしたはずだ、と考えたのです。そして庭の隅に掘り起こした跡を見つけた。中からウサギの屍骸を見つけた。黒だとはっきりわかった。それで、彼は全貌を知って――ウサギを持ち帰ったんです」

 人々がざわめいた。

「持ち帰った?」

「なぜ?」

 ウォルフは

「友だちを守るためです」

 そうだろ、クリス、と聞いた。



6月24日 カシミール 〔未出〕

 クリスは不快そうに黙っていた。
 あきらかに帰りたがっていたが、となりにラインハルトがぴたりとついている。
 ウォルフは言った。

「クリスはウェイドの意思ではないと知ってたんです。ウェイドには動機がありませんでした。彼はロス家になじんでいて、給料もよかった。ロス家の人々にも信頼されていた。主人の陰謀に義憤を覚えたかもしれないが、それなら辞めればよかった。あるいは告発すればよかった。だが、そうしなかった。ボスを殺す必要があったんです。それを望んでいる人間がいた」



6月25日 カシミール 〔未出〕

 ウォルフは言った。

「陰謀はふたりではなかったんです。もうひとりいた。その人物は、議員のベイツ殺しの計画を乗っ取り、議員暗殺に転用しました。いいえ、そもそもミルトン・ロス議員をあおったのも彼だと思います。わたしが一番、それを実行しやすく、動機が強いと思ったのは、エヴェレット・ロスです」

 アシュリーはすでに呆然と立ち尽くし、言葉が出ない。やっと言った。

「なぜ」

「息子を守るためです」



6月26日 カシミール 〔未出〕

 ウォルフは少し言いためらった。だが、言った。

「ミルトン・ロスは幼児性愛の嗜癖がありました。エヴェレットは幼い頃、被害を受けていたはずです」

 アシュリーの顔から表情が抜け落ちていた。その目は別の世界を見ているようだ。

「彼には息子が生まれた。息子は彼によく似ていた。子どもがふたつになり、三つになり、動き回るようになって、彼は恐れたんです。このことは彼の妻も感じていました。エヴェレットは、けして子どもをおじいさんとふたりきりにしないよう何度も注意したそうです」



6月27日 カシミール 〔未出〕

 ウォルフは言った。

「それでも安心できなかったはずです。ミルトン・ロスは、時折、自分の庇護下にある孤児院で幼児を犯していました。ああいうものはなおらない」

 彼は息をついた。

「ボディガードのウェイドもそれを知っていた。だから協力した。クリスはそれがわかった。だから、ウサギを持ち帰ったんです。彼はリーナ刑事がロス家を憎んでいることを知っていたし、現に刑事はエヴェレットの過去を調べはじめていた。クリスは捜査の矛先をかわそうと」

 その時、火薬の弾ける高い音が響いた。



6月28日 カシミール 〔未出〕

 ふりむくと、アシュリーの顔半分が赤いペンキに染まっていた。その両目からぼろぼろと涙がこぼた。

「おかしいとはおもってたんだ」

 ペンキが血のように顎に伝った。

「兄さんはいつも夜、おれを寝室にとじこめて鍵をかけた。絶対に出ちゃいけない。怪物が食べに来るって言い張った。おれが父さんと遊ぶと、いつも怖い目で見てた。エヴェレットも父さんと遊びたいんだと思ってた。おれは、ばかだ」

 その足がよろけた。そばにいた男が支えようとすると彼は払った。

「帰る。サムを助けなきゃ」



6月29日 カシミール 〔未出〕

 アシュリーが去った後、ヴィラの住人はしばらくパーティーの決闘の噂を楽しんだ。

 クリスは恋人のために罪をかぶった、と男をあげ、一躍人気者になった。ただ本人は本意ではなかったようである。きまり悪いらしく、おれともあまり顔をあわせたがらない。

 ラインハルトはケラケラ笑った。

「ばかめ。別れた恋人の子どもを守るハードボイルドなおれ、カッコいいとか思ってたんだろ。だから言ったろ。あいつはガキなんだ」

 ヒーローでいたいのさ、と笑いとばした。



6月30日 カシミール 〔未出〕

 アシュリーは帰国後、ミルトン・ロスの陰謀のために非難にまみれた。そのなかで、彼は兄のために手を汚したボディガードを救うため、弁護団をつけ、尽力したそうである。

 ラインハルトはバリに休暇のやりなおしに出かけ、アキラを激怒させている。

 おれはといえば、同居人ができた。船長が勝手に部屋に転がり込んできた。

「ニヤけた眼鏡男をもう近寄せないようにね」

「自分はほかの男を誘うくせに」

「でも帰ってくるでしょ。かならず」

 彼は大きな犬のようにソファを占領している。



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